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          高木 虎之介

日本のジュニアフォーミュラからフォーミュラニッポンをへてティレルテストドライバーとなりシート獲得するも全く期待はずれに終わる。
1年参戦時期を間違えたね。1年早ければサロもしくはフェルスタッペンとのコンビ。実力証明ができたはずだし、まだティレルのマシンでも入賞の可能性もあったはず。
逆に1年遅く乗っていればアロウズのエンジンはスーパーテック(ルノーカスタマー)だった。マネジメントの失敗が高木を潰したとも言える。
ただ一番の問題はフォーミュラニッポンのタイトルもとれずに(下位カテゴリーでのタイトル無しで)F1に行くのは間違えであるという事を証明してしまっていることだな。
とてつもなく速い2軍選手という評価しかできないな彼には。安定性のなさは根本的なドライビングの問題を示唆している。
彼の失敗はこの後の日本におけるF1暗黒時代を招く事、フォーミュラニッポンの評価減につながることとなる。

1998年
ティレル・フォードで参戦。予選でいきなり13位。物凄い期待を抱かせる。
しかしラルフ・シューマッハーがコースアウト時に撒き散らされた砂利に乗りそのままリタイア・・・・・・・・イキナリがっかり。
そしてこのドライバーのセンスのなさを証明してしまう。他のドライバーはおそらくリタイアしていないだろうという状況であった。
その後第3戦アルゼンチンでまた予選13位となるがあとは下位に沈む。チームは翌年BARとなることとなる状況。
売却せざるを得ないチームでは開発もあるわけないし、どうしてこんな車にわざわざ乗るのかとマネジメントのセンスのなさを声を大にして非難したくなる。
この間違いが全ての間違いの根本原因だ。
成績表 
ラウンド 開催国 サーキット 台数 予選 最高位 ベストL 決勝 周回数 リタイア理由
1 オーストラリア メルボルン 22 13 16 1 コースアウト
2 ブラジル インテルラゴス 22 17 15 1’23.226 R 19/71 エンジン
3 アルゼンチン ブエノスアイレス 22 13 12 1’31.057 12 70/72 完走
4 サンマリノ イモラ 22 15 10 1’32.430 40/62 エンジン
5 スペイン カタルーニヤ 22 21 13 1’28.066 13 63/65 完走
6 モナコ モナコ市街地 22 20 11 1’26.506 11 76/78 完走
7 カナダ ジル・ビルヌーブ 22 16 0/69 トランスミッション
8 フランス マニクール 22 20 13 1’20.299 60/71 エンジン
9 イギリス シルバーストン 22 17 9 1’41.629 9 56/60 完走
10 オーストリア A1リンク 22 20 0/71 アクシデント
11 ドイツ ホッケンハイム 22 15 13 1’48.608 13 44/45 完走
12 ハンガリー オンガロリンク 22 18 14 1’22.495 14 74/77 完走
13 ベルギー スパ・フランコルシャン 22 19 10 2’12.327 10/44 スピン
14 イタリア モンツァ 22 19 9 1’27.726 9 52/53 完走
15 ルクセンブルグ
(ドイツ)
ニュルブルクリンク 22 19 13 1’23.392 16 65/67 完走
16 日本 鈴鹿 22 17 13 1’45.673 28/51 アクシデント

1999年
アロウズよりフル参戦。超非力及び超低予算のチームにわざわざ移る。
もう将来がなくなるのであろうという事を入賞できたレースを自ら途中コースアウトしてのがすことによって決めてしまった。
こんなにひどいチーム状況でほとんどセッティング能力面が期待できないドライバーがのってもどうにもなるわけがない。
チームは謎の王子に騙され滅茶苦茶になってしまう。リタイアの山を築き当然シート喪失。
成績表
ラウンド 開催国 サーキット 台数 予選 最高位 ベストL 決勝 周回数 リタイア理由
1 オーストラリア メルボルン 22 17 4 1’35.877 7 57/57 完走
2 ブラジル インテルラゴス 22 19 8 1’21.598 8 69/72 完走
3 サンマリノ イモラ 22 20 13 1’31.587 29/62 油圧
4 モナコ モナコ市街地 22 19 15 1’26.482 36/78 エンジン
5 スペイン カタルーニヤ 22 20 13 1’29.184 12 62/65 完走
6 カナダ ジル・ビルヌーブ 22 19 9 1’22.792 41/69 トランスミッション
7 フランス マニクール 22 20 11 1’22.664 失格 0/69 タイヤ規定違反
8 イギリス シルバーストン 22 19 16 1’32.442 16 58/60 完走
9 オーストリア A1リンク 22 20 15 1’15.361 25/71 エンジン
10 ドイツ ホッケンハイム 22 22 16 1’50.286 15/45 エンジン
11 ハンガリー オンガロリンク 22 21 20 1’25.483 26/77 ドライブシャフト
12 ベルギー スパ・フランコルシャン 22 19 0/77 クラッチ
13 イタリア モンツァ 22 22 13 1’29.216 35/53 スピンオフ
14 ルクセンブルグ
(ドイツ)
ニュルブルクリンク 22 21 14 1’24.848 42/66 スピンオフ
15 マレーシア セパン 22 22 13 1’46.441 65/67 完走
16 日本 鈴鹿 22 19 15 1’46.150 43/53 ギヤボックス
1999年
フォーミュラニッポンに復活。圧倒的強さを見せて初タイトル・・・・・・・・問題は高木だけがレイナードの最新型マシンに乗っていたこと。
どこまで信じてよいのか分からない。またこの年F1復帰に向けての交渉もやったようだが、BARの当時の代表は「高木は何しに来たの?」
と言われてしまうぐらい交渉下手であいてにされず。
2000年以降
インディカーにトヨタで参戦。インディではそこそこいい走りを見せているが勝てない。何かが欠けているのだ。
F1復帰もなくなり結局2流どころかF1においては問題外といってもかまわないような評価がのこっただけだった。
マネジメントの失敗がこんなにもこの才能のあったドライバーを駄目にしてしまった。

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