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          井上 隆智穂

謎の日本人ドライバーといった趣があるが自力でスポンサーを探しF3から国際F3000を経てF1へやってきた苦労人というのがヨーロッパでの彼の評価の一部。
(そんなに存在感があるわけではないが)しかし実力については?マークつきであった。
彼とペドロ・ディニースについての話題は常にF1にふさわしいかどうかであった。
しかし成績を見ると彼よりも評価が高い選手よりも一定の成績を残しているという事実がある。
ヨーロッパでスーパーノヴァチームの骨組みを作りマネジメント面への強さと語学力によりF1へ行ったドライバー。
無視されることが多いが歴史を消し去ってはいけない。
恵まれた体制でF1へいきながらチームメイトから常に圧倒的差をつけられた某選手からみたら
彼はまずまずだったのではと勘違いをすることすらある。いえることは彼はしっかりF1サーカスに参加していたということだ。

1994年
第15戦
雨の鈴鹿初参戦・・・・しかし予選最下位26位なんと25位ロータス、ミカ・サロ(彼も初参戦)と約3、2秒差(はははは)
チームメイト、デビッド・ブラバム(24位)とは約3.4秒差。これぞぶっちぎりの最下位。レースは大雨の中3周目にスピン、リタイア
成績表 
ラウンド 開催国 サーキット 台数 予選 最高位 ベストL 決勝 周回数 リタイア理由
第15戦 日本 鈴鹿 28 26 26 2分21秒978 3/50 スピン

1995年
フットワーク・アロウズ・ハートよりフル参戦。非力なマシンながらシーズン進むにつれ予選でチームメイト相手に善戦する。
さすがにジャンニ・モルビデッリには相手にもされなかったがのちにインディカーで活躍するマッシミリアーノ・パピスには予選
で3勝(6敗)する。1年で大成長したことは間違いない。完走率は低かったが、チームの財政上の問題もありエンジンもプライベート
エンジンにすぎないハートエンジンであったことを考えると後にプロストチームで走った某選手などより実質上だったのではないかという感じすらある。
しかしハンガリーで救急車ではねられ世界中に写り(翌日のブタペストの新聞の1面はタキ井上だった。)
モナコでは予選アタック終了後ピットに戻る途中、アラン・メニュ(ツーリング・カーのチャンピオン。名ドライバー)が曲のりしていた
車に彼の乗るマシンが突っ込まれ車ごと横転。さかさまになってしまう。かと思えば右京のポルトガルでのアクシデントを真後ろで
見るなどなかなかわけのわからないシーズンとなる。このシーズン終了後、1996年ミナルディとの契約が発表されるが、
スポンサーサイドとの調整つかずシート喪失。(その後裁判沙汰になる)その後はたまに名前がでるが基本的には表舞台から姿消す。
成績表
異色のドライバーであった。
ラウンド 開催国 サーキット 台数 予選 最高位 ベストL 決勝 周回数 リタイア理由
1 ブラジル インテルラゴス 26 21 11 1’26.470 R 48/71 燃料もれ火災
2 アルゼンチン ブエノスアイレス 26 26 14 1’35.325 40 スピンオフ
3 サンマリノ イモラ 26 19 23 1’59.717 12 スピンオフ
4 スペイン カタルーニヤ 26 18 12 1’28.204 43 オイルもれ出火
5 モナコ モナコ市街地 26 26 15 1’30.174 27 ギアボックス
6 カナダ ジル・ビルヌーブ 26 24 11 1’33.079 9 67/69 完走
7 フランス マニクール 26 20 0/72 右京と接触
8 イギリス シルバーストン 26 21 18 1’35.872 16/61 スピンオフ
9 ドイツ ホッケンハイム 26 21 16 1’53.541 9/45 ギアボックス
10 ハンガリー オンガロリンク 26 20 18 1’24.804 13/77 エンジン
11 ベルギー スパ・フランコルシャン 26 20 12 1’59.331 12 43/44 完走
12 イタリア モンツァ 26 22 8 1’29.425 8 52/53 完走
13 ポルトガル エストリル 26 21 14 1’27.356 15 68/71 完走
14 ヨーロッパ
(ドイツ)
ニュルブルクリンク 26 23 0/67 電気系
15 パシフィック
(日本)
TI 24 20 18 1’21.503 38/83 電気系
16 日本 鈴鹿 23 18 12 1’46.600 12 12/51 完走
17 オーストラリア アデレート 23 19 17 1’22.641 15/81 スピン

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